紅葉(14年11月)

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六甲山の紅葉
Photo:M.kawahara

 

車窓から眺める六甲の山々が色づき始めた。
蒸し暑い夏が過ぎて、台風や土砂災害に見舞われながらも季節は巡り、
穏やかな秋の日が続いていた。
そうした中にも朝晩の冷え込みに、木々はもう冬の準備を始めているのだ。

春は淡いピンク一色の桜に対して、秋の彩りはなんと鮮やかなのだろう。
赤、橙、黄、茶、緑、それらの混ざった複雑な色は、
まるで樹木が命の営みの終わりを告げるかのような色彩の競演。

数年前、有馬温泉側から六甲山頂へロープウェイで上がった時のことだった。
深い紅葉谷を見下ろしながら色づいた木々を眺めていると、
いきなり目の前に一面の紅葉が迫ってきた。
あたかもセスナ機で低空を飛んでいるような、
次々に移り変わる景色に思わず涙が溢れそうになったことを思い出す。
その後、何度か同じところをロープウェイで上がってみたが、
これほど見事な紅葉に出会うことはなかった。

 

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裏六甲 鼓ヶ滝辺り

 

紅葉(モミジ)谷は今年の夏以来、
連続した台風と集中豪雨で崖崩れが多発して通れなくなっていると聞く。
山の北側にあって陽を求めてのびた数10メートルの喬木が林立する紅葉谷は、
上から眺めても谷間を下りても良い森なのだが。

一方、我が家の庭にはモミジを4種類植えている。
イロハモミジ、コハウチハカエデ、ノムラ、出ショウジョウ。
それぞれに一つとして同じ色はなく、赤系、オレンジ系、赤茶色が楽しめる。
なかでも出ショウジョウは春先に1センチ程の新芽のうちから
真っ赤な葉が出て小さいながらモミジの手の形をして可愛い。
これは隣の広い家が売りに出された時
「どれでも持っていって下さい」と言われてもらってきたものだった。
モミジは狭い庭では枝先を切ってしまうので本来の姿にはならない。
細い枝にどこまでも水平に伸びる切れ込みの多い葉がモミジの特徴だろう。
今年も伸びやかな紅葉を眺めに六甲山へ出かけてみよう。

 

*****

 

ススキ(14年10月)

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奈良県 宇陀郡 曽爾高原
Photo:M.kawahara

 

秋の花と言えば菊が思い出されるが、私はなぜか菊をあまり好きになれない。
秋の七草のように自然に生えている草花の方に魅力を感じる。
中でもススキは、スッと伸びた茎の先にしなるように穂が生えて、
始めは薄茶色でまとまっているのがだんだん白っぽくなって広がり、
陽の光を浴びて白銀に輝くさまは、他の花では見られない風景だ。

もう何十年も前に比良山に登ったことがあった。
京都側から花折峠までつづら折りの道をバスで上がり、そこからしばらく登ると、
山の稜線と山肌を埋めるススキの群生が見られた。
ほとんど人のいないところで秋風とススキに包まれた静けさを思い出す。
今、この山のススキはどうなっているのだろう。

 

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曽爾高原

 

六甲山でも「東おたふく山」はススキが多いと聞いていた。
1度登ってみようと思っている間に、
最近はクマザサに駆逐されて少なくなってしまっていると言う。
ススキの保存会が発足して守ろうとしているが追いついていないようだ。

かってはどこにでも見られたススキだが、
だんだん生態系が変化して少なくなってゆくのかもしれない。
またパソコンやスマホを使って暮らしていると、
月やススキを愛でることも少なくなってくるのではないだろうか?
私もその例にもれないと思いつつ、
今年はススキを生けて秋の名月を眺めることにした。

 

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月見草(14年9月)

私が小学生の頃、祖父母とともに過ごした家には縁側があった。
8畳の和室の前にあった縁側は、
幅90センチ長さ5メートル程であったろうか?
日頃は父が藤椅子に座って寛いでいた。
叔父達が来ると格好の酒盛り場になってビール瓶が並んでいた。
もちろん私たち姉妹も空いているときは、
お手玉、おはじき、ビー玉をして良く遊んだものだった。

 

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本当の月見草

 

そんな縁側の靴脱ぎ石の上に、
ある日月見草の鉢が置かれていた。
暗くなってから開花する月見草を見ようと
子供たちが集まってその瞬間を待った。
夕闇が迫る7時頃、月見草は朝顔のような
紡錘状の蕾を開き始めた。
まるで動画の早送りを見るように、
パサッパサッと音がしたのではないかと思える程に、
肉眼で刻々に花びらが開いていく様子が観察できるのである。
表現の派手な母がいろいろ言いながら騒いでいたが、
私は静かに月見草の不思議な開花に息をのんだ。
辺りはいつの間にか月あかりに変わっていた。

 

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日本画家 堀文子 画文集より

 

野原で月見草の群生の開花に出会った上記日本画家は、
「草が揺れる気配がして黄色い形が動いた。
包が割れ、縛られた身をふりほどくようにして花びらが伸び、
やがてバネ仕掛けのように開花する。
野原は灯をともしたように明るく変わっていった。」と表現している。

花は直径5センチあるかないかの小ぶりで、調べて見るとオオマツヨイ草のことを
間違って月見草と呼んでいたそうだ。本当の月見草はまた別のものらしい。
しかし私にとっての月見草はこの黄色いオオマツヨイ草なのである。
その後月見草とは出会う機会がないまま過ごしていたが、
月見草の名前を聞くと、遠い子供の頃の情景が思い出されて懐かしくなる。

 

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月下美人(14年8月)

月下美人、この艶やかな花の名前を聞いたことがある人はいても、
実際に咲いているのを見た人は少ないのではないだろうか?
なぜなら、この花は午後の9時頃に咲き始め
3時間程過ぎた12時頃には花を閉じてしまう。

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私の友人に関西と東京に家があって、
行ったり来たりしながら故郷の北海道や育った九州の地を訪ね、
さらに海外旅行まで飛び回っている人がいる。
電話をかけても自宅にはほとんど繋がらない。
私は彼女のことを回遊魚と呼んでいる。
そんな彼女が関西の家の広いベランダに花を育てられなくても、
月下美人だけは毎年見事に花を開かせていたのである。
乾燥に強いこの花が、留守がちな彼女に合っていたのだろうか?
しかしそれだけではない。
夏は外に出し冬は室内に取り入れて、
毎年の鉢土の入れ替えは怠らなかったようだ。
多い時は100輪もの花が咲いたらしい。

そんな彼女からある年の夏
月下美人の花が咲きそうだから午後8時に見に来て。」
と連絡があった。
夜になって出かけることがほとんどなかった私は、
少し涼しくなった夏の夕刻、
明かりの付き始めた街を浮き足立って彼女の家を訪ねた。
20畳のリビングと6畳の和室を開け放った広いスペースの中に、
月下美人は厚みのあるサボテンの葉を長くした
昆布のような形を悠々と広げていた。
彼女の数人の友人もすでに到着していて、さらに三々五々集まってきた。
それぞれに紹介を受けて、地方の珍しいものを頂きながら宴は始まった。

月下美人の花は、長い茎を足れ下げたつぼみのままでなかなか開かない。
今か今かと待つうちに、午後9時を過ぎた頃やっと花が開いてきた。
真っ白で透明感のある薄い花びらが何十にも重なり、
カップ形をした大輪の花は十数センチあるだろうか、
丁度両手の中に治まる大きさであった。
蓮の花のような形であるがもっと花びらは細く先が尖っている。
後ろには少し赤みを帯びた細い包または柄だろうか、
花より大きな広がりで何十本も触手のように
花を守ってさらに美しく大きく咲いている。
月の出る頃豊潤な芳香を放って咲くこの花は、
何故このような大輪を暗くなって咲かせるのだろうか?
調べてみるとメキシコの熱帯雨林原産で、
なんと小型コウモリが蜜を吸いにくるとのことであった。
鳥ではなく夜のコウモリ?
夜の花は夜行性の動物と共存して花粉を運ばれているのだった。
翌日彼女は東京に戻ることになっていて、
まだつぼんだままの花は次々に闇の中で咲き続けるのだと言う。

時は流れて、同級生であった私たちは早や高齢期を迎えている。
広いマンションに住んでいた彼女は、
交通の便が良い芦屋のこじんまりとしたマンションに引っ越した。
相当の家財や持ち物を処分したらしい。
いつもながらその潔さに驚かされる。
3メートルの長い大理石の天板があるサイドボードを、
引っ越し先に持ち込んだ苦労の顛末は聞いていたが、
月下の美人はどうなったのだろう?
今度会った時聞いてみたいと思っている。

 

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睡蓮(14年7月)

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神戸市立森林植物園の長谷池
Photo: Junko Kato

 

 

睡蓮と聞くとモネの「睡蓮」を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。
光と色彩の変化を追求したとされるフランスの画家クロード・モネは、
晩年、睡蓮の連作を200点以上も描いているそうだ。
何故にそれほど魅せられたのだろう。

私がモネの「睡蓮」に初めて出会ったのは、パリのオランジュリー美術館だった。
ひと部屋の大画面に描かれた絵は、薄暗い部屋の中で
濃いブルーを基調とした水面の中に明るい色の睡蓮が浮かび上がっていた。
当時の私は、西洋絵画に感動する前に一人で遥かこの場所を訪ねられたことに
感慨無量だった気がする。

6月下旬に神戸市立森林植物園を訪ねた。
長谷池まで来ると広い湖面に白い睡蓮が 水面を覆い遠くまで見渡せる。
一群の睡蓮が点在している様子はモネの絵と同じだが、周りの木々も光も
画家の描いたジヴェルニーの睡蓮の池とは違う。

 

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長谷池 一群の睡蓮
Photo: Junko Kato

 

 

日本古来の睡蓮は羊草とも言われ、
羊の刻(午後2時)の開花と関係していると言う。
実際には10時頃咲いて午後2時頃閉じたり、
日差しによっては1日中咲いていたりする。
黄色い小さい花はアサザ
アサザは一時は絶滅種に指定されていたそうだが、
ここでは環境が良いのか繁茂している。

 

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京都府立植物園のハス
Photo: Junko Kato

 

 

これより数日前に京都府立植物園を訪ねる機会があった。
睡蓮とハスは似ていて紛らわしい。
睡蓮は水面近くに花も葉もあるのに対して、
ハスは水面から上に出ていて花も大きい。
また睡蓮は葉に切れ込みがあり、
ハスは葉に切れ込みがなく水をはじく。
傘にして歩いている絵もなるほどと思える。

森林植物園では折からアジサイが満開で、
一眼レフで熱心に接写する人々で賑わっていた。
手に取れない池の中の睡蓮よりアジサイの方が身近なのかもしれない。

 

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アジサイ(14年6月)

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写真(1)「コミュニティー花壇のガクアジサイ
Photo: Junko Kato

 

 

雨にアジサイが映える季節となった。
淡いブルーからピンクの混ざったアジサイを見ていると
梅雨のうっとうしさが和らいで来る。
最近はアジサイも種類が豊富になってアナベルという
乳白色の大きな毬状の花や、日本からヨーロッパへ渡って品種改良をされた
ハイドランジアという花房も大きく色もはっきりしたブルーやピンク、
赤の派手なものが出回っているが、日本の庭にはやはりヤマアジサイ
ガクアジサイがしっくり馴染むように思われる。
私の庭にはここ数年でヤマアジサイガクアジサイが何本も増えた。
ガクの色が一つずつ違い咲き始めと終わりでは色も変化する
これらの種類は派手さがないが心が落ち着いて来る。

写真(1)は7年前に鉢植えでもらったガクアジサイをコミュニティー花壇
に移植したもの。上手く育って背丈程の大きさになっている。
交通量の多いところで、「飛び出し注意」の看板が見えている。
こんなところでも季節感が出て道行く人が愛でてくれる。

 

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写真(2)「柏葉アジサイ

 

 

写真(2)は自宅玄関前の柏葉アジサイ
柏の葉のようで紡錘状の花を咲かせ、
始めの白から乳白色で枯れてくると茶褐色を混ぜたような
とても表現出来ない錆色で7月まで咲いている。

和庭のアジサイでは、京都の大原にある苔むした三千院
寂光院の庭のアジサイは趣があるだろう。
この季節には訪ねたことがないが、
細い薄暗い階段を上がったところにある寂光院アジサイを訪ねてみたい。
鎌倉時代からアジサイがあったとすれば平家一門と子供を亡くし、
浮き世の憂いに沈んだ建礼門院を慰めてきたのかもしれない。

神戸の六甲山でもアジサイは沢山見られる。
シチダンカという種類のアジサイは、
シーボルトの植物記録には載っていたがしばらく見られなくなって
幻のアジサイと言われていたところ、六甲山で発見されたという。
私もアメニティー2000協会の建物の保存運動に参加している時、
建築家ヴォーリーズの建てた築80年の六甲山荘で
八重咲きの楚々とした小さい花のシチダンカを見かけたことがある。
部屋の名前にもシチダンカと命名されて名札が掛かっていた。

雨の日はアジサイの色を絵の具で描いて遊んでみるのも一興かもしれない。

 

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藤(14年5月)

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「大町藤公園」
Photo: Junko Kato

 

 

藤のようにしだれ咲く花はいろいろあるが、
しだれ梅は春のおとずれを告げるように小さな花が香りとともにそっと咲き、
しだれ桜は春爛漫の陽気の中で明るく華やかに咲くのに対して、
藤はその薄紫や白色としだれ具合が
どこか寂しげで憂いを含んでいるように見える。

数年前に、兵庫県朝来市大町藤公園を訪ねたことがあった。
幅4m、全長500mの藤棚は、長さ1.5mの房がだんだん細くなって垂れ下がり、
奥深く重なり合う薄紫の濃淡は風に揺れて
オーロラのように光が変化する幽玄の世界を醸し出していた。

子供の頃に習った日本舞踊の「藤娘」では、
枝の先についた藤の房の小道具を持って無邪気に踊っていたが、
唄われている内容は、藤の精となった娘がだんだん大人になってゆく時の色香と、
意のままにならない男心を嘆く女心を表していることを後に知った。
そこでは藤の個性と人の心情が舞台全体に表現されているようで興味深い。

藤の花は丈夫で手間がかからず、これほど育てやすい花はないと言われている。
最近は住宅で育てているのをあまり見かけなくなった気がするが、
近くの公園では規模は小さいながらもすでに花が咲いていた。
薄紫の藤の花は寂しそうながら爽やかなこの季節にふさわしい。

 

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